昭和45年6月28日 筑水信徒連合会でのご教話 (末永信太郎) 45-熊05
・・・あの、お話をいたしましたが、もう、本当にあの人達がおかげを受けておる、どうでしょうか、十分の一か二十分の一か、もう、お話が出けたでしょうか。なるほど、お話というものはね、難しい。本当に、この、言葉というものは、不自由なものだと言われておりますが。本当に自分の有り難いというものを十二分に表現出来るということはね、なかなか出来ません。
私どもでも、日々こうしておかげを頂いて、あそこへ座っておりますと、そりゃあ、もう、眠うして眠うしてという時もあります。足が痛うて痛うてという時もございます。けれども、そこをジーッと辛抱させて頂いて、辛抱させて頂いた後の有り難さというものはね、もう、それは、あっこへ座るモンでなかにゃ分からないという有り難さ。かと思うと、もう、朝から、私はこうやって、十二時越す、代りの先生が来ますけれど。もう、代るごとないごと、立つごとない時もある。ね。
ですから、そういう有り難いというものをね、皆さんに聞いて頂こうたって、とても言葉になって来ませんのです。ね。ですから、ただ、私が有り難いなあ、と思うて、有り難いなあ、と言うとりゃ病気が治るんです。有り難いなあ、と私が言うておりゃ、その問題が解決する。有り難いというものは、そのような功徳があるものです。真に有り難いと思う心、すぐにみかげのはじめ、と。ね。
その真に有り難いというものをお互いが求め求めして、信心の共励をさせて頂くのでございます。今朝からも私、朝の御祈念の後に、ここの御信者に聞いて頂いたんですけれども、例えば、ここに一本のお酒がある。色はなかなか黄金色で立派な色のようであるけれども。ね。これが、栓が抜けておった。だから、いわば気が抜けておった。飲んでも一つも酔いもしない、と。
例えば、ここにこのように、まあ、言うなら盛大な共励会が、二十何ヶ所の教会の方達が集まってなさった。次々、やっぱり変わらんように、このようにおかげを頂いた、形は。けれどもね、これが気が抜けておったらどうだろう。形だけは黄金色しとっても、ね、なるほど酒の匂いぐらいしよるかも知れんけれども。ね。それこそ、飲むほどに、酔うほどにといったようなものが、もしなかったら。ね。私はもう、せっかく二十何ヶ所の教会の御信者がここへ一同に集まって、ね、信心の共励をするから、どこを持って焦点とするか。どこを持って、お互いの祈りの焦点にするか。
それはなるほど、天下国家のことも祈ります。いわゆる、世界真の平和も祈ります。ね。世界総氏子のことを祈ります。けれども、祈っておる一人ひとりの心の中の有り難いというものがです、いわゆる、気が抜けたお酒のようなものであったら、どうだろう。千人万人、酔ったところで、もう、烏合の衆なのだ、と。私はそう思うです。ね。本当にね、私の心から溢れるほどしのもの。それは、言葉になって出ないほどしのもの。ね。そういうものをね、お互いが求めての信心。
今日は、今年は、私はここでは、もうただ、口を開けば和賀心、和賀心。今年という年は、もう、和賀心時代でなからなければならない年に突入したんだ。それは、まあ、教祖ご出現の時から和賀心ということをお説きになっておられます。けれども、今年、この70年という年柄はね、そういう意味でね、大変な落とし柄なのだ、と。ね。人間の力知恵で、言うなら、月の世界にも行けるほどしの時代になったんだ、と。人間の心までも計るコンピューター時代になったんだ、と。それに、何で断絶時代が来るのか、と。ね。そのような、ね、そのような例えば有り難いけっこうなものが出けたのにも関わらず、何千年、いや、何億年かかって、月の世界に人間が行けるほどしのことになった。そういう時代が来た。
けれども、そこに、人間の幸福に、どこに繋がりがあるか、と。ね。そういう、例えば技術、そういう頭を持っておる人たちがです、これは、これだけではいけないんだ、心だと言うております。私は、この頃、新聞に書いてあった、心の時代だ、と。だから、心の時代では駄目なんだ。教祖の教えておられる、生神金光大神の御信心の一番確信になるもの、おかげは和賀心にあるという、和賀心を持ってです、ね、私どもが世に問わせて頂かなければならない時代に突入したんだ、ということなのです。
そこで私どもが、ね、和賀心。んなら、和賀心とはと、ここでは、だから、和賀心学という言葉を、今は使っております。私が毎日毎日説かせて頂くのを、全部テープに収めて、全部それをお書物にしております。ね。それの全てが、和賀心学だと、私は言うております。ね。和賀心になるための学問なのだ。
ね、栄養学があるじゃないか、医学があるじゃないか。そんなら、和賀心学があっていいのだ。ね。そして、どんなに頭の良い人でも、頭の悪い人でも、分からせれるだけの、私はね、学問の裏付けというものも、なからなければならない。だからそれをね、なら、学問なら学問で、こうだ、ああだということを、なら、和賀心というものを研究いたしましても、ね、それだけで、おかげになるというのじゃないけれども、世界中の、私は、人間氏子にです、ね、和賀心にならなければ、人間が幸福になれないのだという事だけはね、どうでも知らせなければいけないと思う。これは、宗教のある者にでも、ない者にでも、最近、私が感じることはね、私が言うておる和賀心というのは、和賀心学というのは、ね、信心のない方が、もう非常に共鳴して下さることです。最近ここで、おかげの泉ていうのが発行されております。それ例えば、( )に合楽食堂ていうのがありますが、毎月、何十冊というのを持って行きます。
いろんな、ご飯を食べに来る人達が、「これ、おばしゃん、何の」ち言うてから買うて行く。読んでも、「これは、なかなか、ええことが書いちゃる」と言うて、その、もう必ず、次の号を待ってくださる。だんだん、その増える人が増えておるち。ね。
また、お参りをして、直接お話を頂こうという人達も出けておるといこと。だから、分からせるとうことならですね、むしろ、信心のない人の方が分からせ良いなと、私は最近、思うとるくらいです。なぜって、信心のある者はですね、自分の本当なこっでもないこと、いや、ちいっとぐらい、ほんなこっじゃろうばってんね、ちいっとばっかりほんなこつば、もう、ほんなこっと思い込んでですね、その座から、もう動こうとせんのですよ。ね。これが、ほんな事だと言う。そして、実際はおかげも、大したおかげも受けとらんのです。ね。ですからね、もっと、私はもっともっと、信心とはね、もう、いよいよ本当から本当を追求して行くことだ思うです。ですから、私どもはいつでもね、いつでも、はっ、これの方が本当だなと思ったら、それにね、私は乗り換えて行かなければならんと思う。ね。
そこから、そして生まれてくる体験。やっぱ本当だった、と。また、乗り換えて行かなければならん。いや、もうそれは、おそらく一生かかって、その本当なことを追求するわけでございましょうけれども。ね、そこでです、ね、先日も、ある偉い先生のお話を頂きました。そして、その先生のお話の最後に、究極は、ね、和賀心だと言われた。だから、私どもは、もう、枝葉は言うことはいらんじゃないか。
究極が和賀心なら、その、本当に和賀心を求めて、焦点にして信心を進めて行ったらいいじゃないか、と。ね。そこからね、そこから御用も出けてくる。そこから、お参りもしなければおられないものが出けてくる。そこから、人のことを祈らなければおられないものが生まれてくる。和賀心とは、そういう働きをするのです。ね。金光様が、「今、上を飛行機が通りました。あの飛行機が、どうぞ無事に目的地に着きますように祈りますのじゃ」と仰った。というようにです、ね、それが祈らずにはおられない心が、私は和賀心だと思うのです。ね。そこでです、その和賀心という、なら、和賀心を頂くことのために、お互いが信心をする、修行をする、朝参りをする。ね。
先日、4~5日前でした。事務所に参りましたら、あの、(いつか?)見たような、小さいパンフレットがありました。見たら、ここの若先生が学院で、お父さん有り難う、というお話をしておる。それがパンフレットになって、ここへ送って来ておったのが、そこにあるんです。何か珍しいものを見つけたように、ここに帰って読みました。それには、こういうことを書いております。ね。
自分もやはり、合楽の二代を継がなければならない。ためには、やはり力を頂かなければならない。神様を分からせてもらいたい。本当に、生きた神様を知りたい。私は知らなかったけれども、自分の部屋で一週間、ね、もう、眠らなかった。けれども、まあ、眠って、倒れておった時もあったでしょう。毎月、毎日、親教会に朝参りをした。そして神様、私に生きた神様を分からせてください、一遍、神様の姿を見せて下さい、一遍、神の声を聞かせて下さいと言うて、願うたと言うのです。ね。
ところが空しゅう、それは、成就しなかった。そこでね、御取次を頂いたことが書いてある。私は、どうでもお父さん、神様が分かりたい。だから、神様を分からせて頂きたいと、こう言うのです。それで私は、こんな話をさせて頂いた。その話をまとめてあるのですよ。ね。
お釈迦様のお話の中に、ある時、お釈迦様と(しゃにほつ)という、もう、その当時、第一と言われたお弟子さんがあった。もう、来る日も来る日も、それこそ、毎日毎日、それこそ、金光様の御信者なら、和賀心和賀心と言いよったんでしょうね、きっと。和賀心になれば、おかげになると仰っておる。それで、やっぱり、その(しゃにほつ)も、和賀心、和賀心と、もう、それこそ悩み抜いておるその姿をご覧になったお釈迦様がね、(しゃにほつ)、ちょっとここへ来てみよ、と仰った。
お前は何をそのように、毎日青い顔をして、何を思い悩みつづけておるのか、と。(しゃにふつ)が言う、と。ね。言うなら、まあ、これは金光教の言葉で言うならね、私は神様が分かりたいという意味のことを言うたんでしょう。私は本当の仏様が分かりたいと言うたんでしょう。そこで、お釈迦様が、そうお話をしながら、ご自分の(改鋳?)から手拭きのようなものを出されて、その手拭きの隅と隅を結ばれて、(しゃにぶつ)の前におかれた、(しゃにぶつ)の前に。それを解いて見よ、と。しゃにぶつは解いた。また結ばれた、また解いた。それを3回、4回と続けて内にです、いわば、(一大事?)と言われるほどしの(しゃにぶつ)のことですから、翻然として悟ったと言うのです。もう、皆さんも悟られたでしょう。ね。
和賀心、和賀心。和賀心を頂かにゃおかげにならんから、和賀心になりたいなあ、と言うとっただけじゃ駄目だ、と。ね。それには先ず、これを解かなければならん。それを成さなければならん。私が教えることを一つ行じてみよと、お釈迦様は仰ったに違いはない。ね。私は、その長男に申しました。
ここで頂いておる日々御理解を、本気で一言でも良いから行じて行け、と。そこから分かる神様、そこから生まれてくる和賀心でなからなければ、ほんなもんじゃない。物を言うて下さる神様なんて、ほんなもんじゃない、という風に、まあ、申しましたことが書いてある。ね。
私はそれを読ませて頂いてですね、そうなんです。和賀心、和賀心と言うて、時々、はあ、和らいで思うとったら、何もない時、何かあったら、もう、これが波打っとる。ね。和の心というのは、どういう心かと言うと、もちろん、和らぐということですけれどもね。それがね、天地と調和する心を、和の心と言うのですよ。私は先日、甘木の平田さんのお話を聞きながら、それを思うた。なるほど、この方は、言われることは非常に激しい。それは、もう、この前でもね、私どもに見えられた時なんかは、ちょうど幹部の者がご挨拶に5~6人で行った。平田さんが前へ座っておられた。ね、入った途端でした。「アンタだん、雁首をいっちょ変えにゃ」ち。それが、第一声でしたよ。もう、本当に、まさに、その通りなのですから。
まず、雁首をすえ返ろ、と。ね。だから、なるほど、言葉は激しいと思いますけれどもです、その、激しいその中にはね、もう、おかげを頂いてもらわなければ止まんという心があるのですよね、あの言葉の中には。アンタ達にもこんなおかげを頂いて欲しいんだ、と。ね。
アンタ方にも金光大神、ね、たとえば、ここにです、第二の平田、第三の平田がたくさん、ここの甘木、この合楽教会に生まれてみろ、と。どのようなことになって来るか、と。どのような御用を頂けることになるかと、例えば、ご自身の受けておられるおかげを、皆にも頂いてもらいたいんです。
だから、そげなこっじゃおかげは頂かんという激しい言葉のあるけれども、その激しい言葉の中身は、やはり神愛、親心なのだ。その証拠にはね、私はどこへも行く時に、雨傘を持たん。例えば、私が出る時には、雨が降らんといったような体験を続けて頂いとった時代があったと、それは、そういう時代があったという話をなさっておられる。なるほど、天地に通うてござるということなんです。
先ほど、奥さんのお話を頂きよってもです、もう、本当に、ここにもそこにも、生きた神様が生き生きと、平田しげきちの上に現われておられる。平田しげきち夫婦の上に現われておられる。ね。あの汽車の中のこと、また、比叡山に行かれた時のこと。ね。もう、ここにもそこにも、生きた神様の働きがですね、もう、自動車の中に、汽車の中にいっぱいなのだ。ね。そのようにね、私どものね、その、例えば願いと言うものは願わんでもです、神様の方が先回りして、こうやって、もう、神様の方が合わせて行って下さる。
これを、私は天地に調和するということだと思うんです。天地の親神様がこちらに合わせてくださる。ね。そういう心を、私は第一の和の心だと思うです。もちろん、家庭円満、夫婦円満ということもあるでしょう。ね。けれども、本当の和は、天地に、和は調和する心だと思うですよ。ね。そこでですよ、そういう、んなら、心。賀の心はね、教祖様が佐藤しゅくろうに教えておられます。賀の心とは、祝い賀ぶ心じゃと仰った。祝い賀ぶ。はあ、めでたいなあ、めでたいなあ、というあの心なんだ。
だから、そういう心がてんばら安う、なかなか頂けるもんじゃないて、和賀心、和賀心とこうやっとったばかりじゃ。ね。ですから、その、和賀心になる、なら、和賀心になる道がある。先ず、それに和賀心学という学問がある。それを学べ。ね。それを行じて行くならば、必ず、誰でもが和賀心になれるんだ、と。ね。その和賀心というのはです、和賀心を頂きたいと言うて、捻っておるだけではおかげにならん。ね。
今朝から、私、皆さんに聞いて頂いた御理解なんですけれども。ね。つけやきばの信心ではいかん、という御理解がありましょうが。ええっと、一番はじめ何じゃったですかね。うん、そうそう。人に誘われての信心は付け焼刃じゃ、と。付け焼刃の信心はとれやすい。どうぞ、その身から打ちこんでの信心じゃなくて、どうぞ、その身から打ちこんでの真の信心をせよと言うておられます。
だから、打ち込みよったっちゃ、真の信心に打ち込んどらんなら、駄目だということになる。でしょ?ね。同時にです、お互いが付け焼刃。今日は、合楽教会で何々があるけん。ね。今日はもう、私どんは忙しかけん、婆さん、あんたが行ってくれんのち。ちょっと、人数だけ揃えて行ってくれんの、と言うなら、こういうしょうことなしだと、私は思うですね。
またはです、おかげは受けんならんから、お参りをしておるならば、やはり、私はこれは、付け焼刃だと思いますね。なぜって、おかげをおかげと言うて、さあ、一年間も参ったばってん、おかげ頂かじゃったら、もう、おかげは頂かじゃったと言うて、もう、付け焼刃じゃから、取れやすいでしょう、取れましょうが。ね。だから、人に誘われてのしょうことなしの信心ということは、ね、おかげを目当ての信心では取れやすい、しょうことなしだから。おかげを受けたら、昨日、善導寺の原さんという方が見えてから、今日は、まあだ、沢山お話をしたいという人が、たくさんあったんです。ね。けれども、それは、んなら、まあ、時間があったら話しなさい、と言うて、どういうことを話そうかと言うて、原さんが言うておられることを聞いておったんです。ね。
ご自分がおかげを受けられた。ね。やっぱり、これが一番口。ところが、一番たまがったことはね、二度目に参ったときに、それこそ、目玉から火の出るように怒られたことでしたと、こう言う。息子さんが高校に行くから、お願いしますち言うて、お願いにきた。とても通るまいと思いよったのが通った。ところが、その息子が、今度は病気になった。腎臓(こつまつえん)という結核性の病気であった。もう、いよいよ、今日は医者が難しいと言うた。ね。そのお願いに来た時の話なんです。
それで私がね、その原さんにその時、その、ああ、ほんに、そげなこと言うたですかなあ、と言うてから、言うたことでした。ね。あの、原さんと貴女は言うですねて。この頃、あの高校受験の時には、貴女はお礼に出て来なさらじゃった。そして、またお願いに来なさった。例えばね、暗か時、提灯いっちょ借ったっちゃよ、雨が降る時に傘一本借っても、たとえば、それをお返しに行く時には、おかげで暗い思いをせんで済みました。おかげで、濡れんで済みましたと、それこそ、野菜の一本くらい持って行くよて、私が。
そしてアンタね、出けんはずのが出けたごたるおかげば頂いとってから、お礼にも出て来んで、またお願いをする。そげなこっじゃ出けんち、この神様なそげな神様じゃなかて私が、まあ、その時分のそのように激しかった。そん時に怒られながら思うたっち。いやあ、ここの先生は、もう、神様に対する、何とその、その、毅然たる人じゃろうかと思うたち。もう、怒られて一遍きりで止めた人もたくさんあります。ね。
けれども私は、本当にその病気が治らなきゃいかんから、おかげを頂かなきゃならんから。私ども、ちょうど月次祭の後に、もう、ご直会、私の取り巻き連中十名ばかりお神酒を頂きよった。ちょうど夏のことである。ランニングシャツ一枚で、ほれこそ、ぶーぶーやって来なさった、お父さんが。ね。昌一郎さんち言います。けん、あの、先生、もう、助かる助かるち私が言うもんですから、先生、今日はもう、ほんなこつば言うち下さいち。もう、半分な死んどります、もう、半分な諦めとります。ですから、もう、どげなこと言われたっちゃ驚かんから、先生、本当なことを言うて下さいと言うて、願われました。
それで、私がまた怒った。ね。半分な死んどって、半分な諦めとるなら、もう、終えとるじゃんのち。(笑い)そげなこつ言わんな、早う帰ってから、あんた方ん、まだお神様お祭りしてないから、裏の畑にどん座って、それこそ、天に任せて地にすがりなさい。私も願うから、大地に座って、助けて下さい、ち言うて願いなさいち。はあ、もう、そのまま帰って、畑に座って一晩中拝んだげな。さあ、医者が来ても、医者が来てみ注射が入らじゃったちゅうから、間違えてから。あらっ、この注射、何遍とり行ったっちゃ間違えて持ってくる。ね。とうとう最後には、折れたから、もう、これはいかんとじゃろうち言うちから止めた。
もう、そん時には親戚の方達は、全部、危篤の電報が行っておりますから、お葬式の着物を持って集まっとった。それが、明くる日からだんだんおかげ頂いてきた。もちろん、医者には、もう、それっきりかかりませんでした。それから何ヶ月目にかは、もう、あの、未納山に(すみから?)行くごとなりました。あの時分な、(住み?)がない時分ですからね、昔では。
そのようなおかげを頂いた時です、私が夫婦でお願いに来た時、もう、それも、また大変、一時、また難しゅう状態な時にお願いした。私は休んどった。私は蚊帳の中、夫婦は蚊帳の外だった。ね。先生、また酷うなりました、と。先生、助けてください。それで、私は申しました。原さん、あなた方夫婦がね、もう一生、あなた方が一生、この神様のご恩は忘れません、一生お参りを続けますというお約束が出けるならば、まいっちょ、なら、改めて私がお願いしてみるち。
先生、お参りしますち。お願いして下さいと言うから、それから、そのことを神様にお願いさせて頂いた。それから、おかげを段々頂いてまいりました。そして、全快のおかげを頂いて、まあ、今、二人のお父さんであります。もう、だから、もう、ほんなら私、もう、とにかくお話をすんなら、どこを話して良いじゃわからんごとおかげを頂いとるけん、どこを話して良いじゃ分からんと、こう、というようなお話なん。
そん時に、昨日、言うておられるんです。先生、あのように、先生とお約束してから、夫婦の者が、そればってんか、一年ぐらい参ってから、参ったならば、止めるち思いよったち。ね。ところが、段々、お参りをさせて頂いておる内に、言うならば、信心が有り難うなってきた、お参りが有り難うなってきた。
歩いて参る、自転車で参る、単車で参る。最近では、自動車で、一家中で毎朝参って来る。また、夜の御祈念も参って来る。ね。御理解が身について行くことが有り難い。なるほど、例えば、立派なお家が出けたという訳でもなからなければ、大変なお金が貯まったということはないけれども。ね。
日々ね、生活の中に、もう、神様がさっきの平田さんのお話じゃないけれども、もう、生き生きとして神様がね、必要な時には必要に応じて、それは原さんの受け物なりではあるけれども、おかげを下さっておるという事実がね、もう、有り難うて堪えんち。
いわゆる、嬉しゅう、楽しゅう、信心が出ける。言うならそれを、私は一つの天地のね、リズムに乗っての生活だと言うております。ね。天地はいつも私どもにね、囁きかけるようにして、リズムを送ってくださる。そのリズムに乗って行く。浪花節でもそうでしょうが、三味線の方が狂ったら、もう声が出らん。ね。
やはり、天地の親神様の、いわゆる自然が奏でて下さるところの、リズムに乗っての信心。それを、合楽では成り行きを大事にすると申しております。ね。もう、成り行きそのものが神様の働きなのだ、と。天地の親神様の働きなのだ、あそこに奉ってある神様だけが神様ではない。自然の中に神様の働きがあるのだ。
真の信心と言うがです、もう、これは、いくらもありましょう。ね。けれどもね、真の信心とは、これなんだ。神様が私どもに求めたござる信心を、合掌して受けて行くことなのだから。だから、これはいらん、これはいかんと言うて、よりごのみをするなら、もう、どのような場合でも、ね、今度の共励会がちょうど(旅?)の真っ最中じゃから、合楽にしてくれと言うて、電話がかかってきた。そげなんこと言うたっちゃ、家げんもある。ちょうど28日から集まるとですけん、断りましょうち言うてから、事務所がうちに言うてきた。馬鹿んごと、勿体無か。早う受けとかんねて、私は申しました。馬鹿らしかですもん、そげんとば断りよると。もう、それこそ、本当に神様が合楽におかげを下さろうとしてですね、わざわざ、その教会から、こう、持って来て下さるものを、いんや、それはいりませんと言うて、どうして返されるか、勿体無うして。と言うのが、いわゆる、私の成り行きを大事にするということなんです。ね。
そこからね、生まれてくる神様の働きというものがね、さっき、私どもの信者方がたくさん申しました。一分一厘まちがいのない神様の働きを、ここに見ることが出来る。それはね、おかげを受けるという意味合いだけではない。おかげを落とす場合でも、一分一厘の間違いのないお働きの中に、おかげを落として行くのだから、有り難いんだ、と。お気付けを頂くと言うても、一分一厘の間違いがないお気付けと感じれれるから、神様を有り難く思われるのだ。ね。
和賀心。いかに、何千遍、何満遍、それを唱えたところで、和賀心というものは頂けるものではない。ね。時どきゃ、はあ、有り難いちゅう心が生まれて来る。はあ、これが賀の心じゃろう。時どきゃ、もう、本当に円満な心が生まれる、これが和の心。そういうもんじゃない。本当の和の心とは、天地に通う心、天地と和した心なのである。いつも、天地が私のバックであるということなのである。ね。
先日の月次祭の時に、私が、お祭りの前に信者が一人ずつ話すことになってる。久富建設というところの大将が話しました。土木屋さんですから、もう、天気が一番、関係のあるお商売なんです。先生、最近はおかげを頂いて、もう、降る照るのことだけには、不平を言わんで済みますと、こう言う。ね。
降る照りのことだけには、不平を言わんで済むと、こう。まあ、何ていう有り難いことでしょう。降っても有り難い、照っても有り難いと言うのですから。ね、だから、正義さんち、正義さん、その信心がね、今度はね、降る照りだけじゃない、すべてのことの上にも同じ応用が利くようになった時が、神様のお心が分かった時、その時があなたの心の眼が開けた時。肉眼をおいて心眼を開けと仰るのは、そういうことなのだ、と。ね、どちらに出ても有り難いとお礼の申し上げれる心が、心眼を開いた人の姿なのです。ね。
ここには、病気という難儀に見えておるけれども。心眼を持ってすると、それは神愛の現われなのだから。だから、その病気も、また有り難いということになる。ね。だから、訳もわからんなり、病気ば有り難いちゅうたっちゃ駄目なんだ。分かって有り難いと言わなければ。芯の和賀心が出てこんもん。ね。
どうぞ一つ、皆さん、ね、究極のところは、和賀心なんです。ね。しかもね、その和賀心に一家のうちの者が、一人本気でなることになりますとね、一家中の者がついておられなくなって来るのですよ。これは、私の教会でみんな体験しております。ここでは、このようなことが出けたと言うのも、これに信者の件数で言うたら、わずかばかりです。けれども、皆がその、家族が勢をそろえてから信心しよりますからね。
親父がこうぞと言うたら、みんながそれに喜んで、それにパーッと賛成する。ね。だから、これが出ける。だからね、自分一人がどのような立派な信心しとると思うてもね、家内子供がついて来んなら、これは、(一行をようする?)。ね。まだ、いわゆる、本当の和賀心を求めての、いわゆる、真の信心ではないということ。ね。真の信心、口を開けば真の信心と言われます。なるほど、真の信心、真の信心ということをです、ね、これこそ、真の信心であろうという、この頃わたし、日田から、あるお酒屋さんが参って来た時に頂きました。「天真地心」ということを頂いた。天真とは、天の真とある。天の真。
それから、地心とは、地の心とあった。ね。真とはね、天の心が、そのまま真なんです。天はね、言うならば、もう、与えて与えて止まないもの。ここでは、それを限りなく美しゅうなろう、と言うております。ね。与えて与えて、条件がない。もう、与えて与えて、止まない心。それを、限りなく美しゅうならなきゃ与えられん。自分の好きなもんにはやるばってん、あれは、みょうな顔しとるけん、やらんちゅうことになっとる。そげなことじゃつまらん、美しくはなか。美しいという心はね、もう、そこには、もう、誰でもない、彼でもない。誰にでも与えて止まないという心が、天の心だ、と。ね。
そういう与えて止まない天の心をそのままにです、ね、水も漏らさん心で受ける心が、地の心だ、と。ね。地心、地の心。ね。大地の心は、受けて受けて受けきって行くものなんだ。ね。どのような汚いものを持って行っても、平気で受けておる。しかも、それを、上の野菜なり、また、植木なりに、こうやって送っておるおるほどしのものである。ね。
だから、真の信心と言やあ、そういうね、天の心を心として、地の心を心として、日常生活の上にそれを現して行く。私は最近、特に思う。教祖の神様のあの御理解の中にです、御教えの中にです、もう、一言だって、半言だって嘘はないということ。ね。一心を立てれば、すぐにおかげになると仰っておるとこがありましょう。一心を出すと、すぐにおかげになる。そうにゃ一心になったばってん、おかげ頂かじゃったという。ね。あの御理解は、ね、一つに定めいということですよね。
信心を一心と定めい。あちらへ参ったり、こちらへ参ったりするな、と。金光様一本で行けという御理解が説いてあります。最後に、その、一心と定めりゃ、すぐにおかげになると言うておられます。ね。それが、沢山の金光様の御信心を知っておりますけれども、一つも、すぐにおかげになっていない。それこそ、もう、お爺さんの代から、もう、迷うこともなし、開式までして、お爺さん、子供、孫と、金光様一本で来とるけれども、まだ、すぐにおかげになってないと言うとですね、ただ金光様一本にすがっとるとか、金光様の信心以外には動かんということではないことが分かりますね、一心と定めいということは。ね。
一心と定めいということはです、例えば、なら私が、ここ二十年間です、もう、本気で馬鹿と阿呆になろう、と。これは、福岡の初代の御信心ですね。もう、それこそ、もう、泣く泣くでも信心辛抱させて頂こう、と。ね。これが、久留米の初代です。信心辛抱さえしとりゃ、物事整わんことはない、と。三井教会の初代は、コリをつますな、コリをつむな、身を慎めと仰っておられる。ね。
そういうような御教えにしっかりしがみ付いて、外さない。ね。それがね、一心と定められるというところに、おかげを受けられるとですよ。例えば、皆さんが今日、こうして色々とお話頂かれて、はあ、これが私に欠げておった。これを、これからは一心と定めると、もう決められたらですね、もう、それは、すぐにおかげになってまいります。ね。
一心と定めるということは、そういうことなん。ね。それを、例えば、んなら、私がですよね、その、私どもの先代、または、師匠にあたります、ずっとこう、久留米、福岡、善導寺ね、先生方の信心を総まとめにまとめて出た答えが、成り行きを大事にするということなんです。成り行きを大事にするということは、なるほど、馬鹿と阿呆にならなければ出けることじゃない。または、歯を食いしばるごとある時でも、やはり辛抱しなければ出けないのである。ね。
一番その中で難しかったのはね、コリをつますな、コリをつむな、身を慎めということが、一番難しかった。なぜかち言ってから、こちらはコリはつんどらん。もう、どげなこと言われたっちゃ、こっちだけはコリはつまんということは、案外出けたけどね、相手にコリをつませんということはね、なかなか難しいこと。これは、こちらに徳を受けなきゃ出けるこっじゃないと、今でも思うておる。ね。
私が、この人が本当に助かるようにと思うたら、コリつんでから、先生があげなこと言うたと言うてから、腹かく人があるですから、これは、もう、大変に難しいです。けれどもね、コリをつまんということは、成り行きを大切にして行くということだったら、もう、この全部がこの中に入ってくる。ね。
まあ、そういうね、一つの筋金というか、そういうことに一心と定めさせて頂いたら、ね、それこそ、今、合楽で言うておることは、願うておかげはほんなもんじゃないち。地団太踏むようにして、頼むからおかげになってもね、それは、絶対おかげじゃなかて。なぜかて言うと、子に孫に伝わらんて、そげな信心では。ね。この頃、委員長が言うておりました。もう、家の親先生は、もう、おかげば頂かんごとお願いしござるじゃろうち言うちから、あんまり誰でんおかげ頂かんもんじゃから。ね。
なるほど、そういうことも言えるんです。ね。ですからね、その、おかげを頂く道というのは、銘々が通らなければならない、銘々が受けなければならない。ね。そこに、私は御教えの実践ということがある。そこからね、なるほど、教祖の神様というお方は、嘘を仰っておられるのではないのだ。こういう実践すれば、かくおかげが受けられるという実証。そういう証をね、立てて行かなければね、いかに和賀心を世界中に広げようと言うたって駄目だ。
先日、私はある先生の、岡山でお話になったお書物を読ませて頂いた。もう、それこそ、名実共に日本一と自称しておられるほどしの、立派な先生のお話である。ね。その先生がね、それこそ、もう願うて願うて願いぬくというお話をなさった。47年間ですか、願い抜いて、この大きなお宮が建った、こういうおかげを受けたと言うておられる。ね。
それこそ、慈悲をもって、いつも、その、海外に出られては、他の宗教宗派と手をつないで、世界の平和を願おうという、もう、実に(ししょう?)なことなんだ。先日も、ローマ法と会われた。そして、金光様の信心を語られた。ところがね、それをね、あんまり良い顔をしなかったと言うのです。なぜだろう。ね。
願うて願うてでは、誰も、例えば、他の宗教宗派の者は付いちゃ来んて。願うて願うてというおかげでは。ね。だから、私が言うではなくて、教祖が仰っておられるその和賀心というのはね、キリスト教者も仏教者も、信心のない者も、みんなが一応説明すればわかる、と。愛の心も慈悲の心も、その根底をなすものは、和賀心なんだから。ね。または、和賀心学をもって和賀心を説くならば、信心のない者でも、なるほどそうだろう、和賀心になることが、人間の幸せの近道であろう、それが本当なことであろうと分かるのだ。
ですから、教祖はそういう間違いのない焦点をね、私どもに教えておって下さるのであるから、ね、もう、究極はそこだから、もう、究極そこに行かなければ駄目だ。ね。そのための、んなら、信心をです、腕こまぬいて、ただ、日参りばっかりしとったというだけでは出けん。ね。おかげ頂くけん御用するちゅうごたる御用じゃつまらんて。ね。
私どもは、そげなことなら、ずいぶん通って来たっちゃから。ね。その証拠に、なら、例えば御用を頂きそこのうてから、坊さんになっとる人もあるじゃないですか。ね。ですから、本当に真の信心を頂いて、真の信心から生まれてくるところの神恩報謝の心。その神恩報謝の心が御用になり、お参りになり、それが、導きということ。いわゆる、それが、世の光になるということ。
ここに掲げております、今年のいわばスローガンです。お役に立たせて下さいて、世のお役に立たせて下さい。世のお役に立ちましょうといったような生易しいことじゃないのだ。立ちましょうとばっかり言うたっちゃ立たんじゃないか。だから、神様に願わなければ。どうぞ、世のお役に立たせて下さいと言うて願うとです、そんならば、そういう信心をせよということになるのですよ。神様の御用をさせて頂きたい。ね、例えば、んなら、例えて言うと、お給仕をさせて下さいと言いましょうか。ところが、ここに行きゃ(なべづみを?)引っ付けたり、汚い着物ば着といてから、神様、もう一杯召し上がれと言うたっちゃ、ああ、もう胸がいっぱいになったちゅうて、食べなさらん。そうでしょうもん。ね。
ですから、さっぱりとして、ね、それこそ、お化粧の一つもさせて頂いて、どうぞ一杯召し上がれと言うことになった時です、初めて、それを御用に使うて下さる、給仕者として。ね。私どもが、御用に立ちたい、御用に、おかげば頂くけん、頂くために御用頂きよるちゅうなら、もう、こげな汚いものがついとるものを、神様が何の受けて下さろうか。ね。
それは、受けて下さっても、なるほど、こっちを開けりゃこっちから、両方開けとかにゃ風が来んというな一つの理がありますよ。ね。私は、また後から入ってくるという理はあるけれどもね、そげなことはやり損なう。人間じゃけん、必ず。そげなこっじゃいかん。ね。
本当に真の信心を求めて、ね、神様の大恩が分からせてもらい、神様の恩を悟らせてもろうてです、その恩に報い奉らせてもらわなければ止まんという心。それが私どものね、一生の願い。言うならば、一生かけて、そこに生き甲斐を感じさせて頂くほどしの信心がね、銘々なさらなければ駄目だということ。
どうでしょう、こげなおかげば頂いたなら、もう止めよう、朝参りはせんで良かろうちゅうごたる、つまらん信心じゃ駄目だ、と。御用すりゃおかげ頂くちゅうような信心じゃ駄目。まあ、これは私の信心ですよ。どうぞ、そのつもりでお聞き下さい。ね。本当に和賀心ということを本気で追求して行くとね、その追求する、その健気な心に神様がほろっとなさるですねやっぱり、和賀心にならんでも。
こういう道を歩きゃ和賀心になると仰るから、泣く泣くその道を歩かせて頂いとる姿をご覧になったらね、神様がほろっとなさって下さるおかげも、たくさんあります。だからね、和賀心にならなければね、おかげが頂けれんという道でもない。本気で、もう、そこんところに焦点をおいて、そちらに向きを変えれということなんだ。ね。そういうね、ひとつ、これは、まあ、私の、どこまでも、私が体験。私の信心、まあ、言うならば、和賀心ということを、かく思うということでございますけれども。ね。
いよいよ、その、和賀心が本当なものにならせて頂くためにです、私どもは真の信心をさせてもらわにゃならん。真の信心をさせて頂く。そこから、ね、神様のお喜びがこちらの心に通うてくる。その心が、和賀心なんだ。神様から与えられる心なんだ。自分が和の心になろう、賀の心になろうったって、駄目だ。
もう、この和賀心ということを説くならば、もう、切りがありますまい。ね。けれども、それぞれのね、信心の程度、それぞれの立場にね、とにかく、皆さんが日々唱えておられるところの天地書附をですよね、それを、もっともっと実感としてですよ、ね、どうぞ、今月今日只今、昨日の朝の御理解にね、言うことと行うことと思うこと、神の心にかないなば、真の徳はあらわれぬ、というようなお歌を頂いた。ね。
今、わたしが言うておること。そして、また、私が今行うておること。そして、今、私が思うておること。ね。そのことをです、いつも振り返り、はあ、こげな汚いことを思うとる。こういうことをしよる。これでは、と思うたら、そこが改まって行き、こういう心と思うところを改めなれんならばです、詫びて行くというような、一つ姿勢を持って、神様へ向かって行くところからです、いわゆる、真の信心の道は自ずとと付いて来るという風に、私は思うのです。
どうぞ皆さんがね、例えば、この(旅の真っ最中に?)これだけの人数が集まられた。なら、この方たちがです、本当に、ね、例えて言うならば、ね、気の抜けていないよ、お神酒を一杯でも頂いたというような心持ちで、ね、帰られるならば、今日の、私は共励会に通うてみえられたおかげがあった。
けれども、早う話が止めりゃよかが、もう、眠うして堪えじゃった、足が痛かったと言うならね、あなたは今日は、気の抜けたものを飲んだことになるわけです。ね。どうぞ、形の上においては分かりません。色も、ね、言うならば、量も変わらんのですから。これは、やはり自分自身でなからなければ分かりません。どうぞ、真に有り難いを求めるという信心。それには、どういう信心をさせて頂いたら、どういう修行をさせて頂いたら良いかということをね、寝ても覚めても、言うならば思わせて頂いて。それこそ、ここにも神様が生き生きと、もう、いたるところ行くところに、先ほど平田会長の奥さんがお話になっておられたように、行くところ行くところに、生きた神様がそこに働きを現しておられるようなね、おかげを頂きたいともんだと思うのでございます。どうぞ。